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Wednesday, April 15, 2020

靴職人 鈴木幸次(スピーゴラオーナー)/「ワクワクを大事に」行動が引き寄せた靴職人への道 - ジョイキャリア

靴の町として知られる兵庫県神戸市長田区。この地に生まれ、靴のパタンナーである父のもとで育った日本有数の靴職人がいる。それがビスポークといわれるオーダーシューズのスペシャリストである鈴木幸次氏だ。

ビスポークとは、顧客と担当する職人との話し合いから作られるオーダーメイドを指す。ビスポーク・シューズは、職人が顧客の要望をヒアリングしたり採寸をしたりしながら作り上げる、顧客にとって唯一無二の完全注文の靴のことである。

鈴木氏は20代で修行のためにイタリアへ渡り、有名靴職人に従事した。帰国後は、自身のブランド「スピーゴラ」を立ち上げ、アトリエを長田に構えながら世界中を飛び回っている。

靴職人としてのエリート街道を歩み、すべてを手に入れたかのような鈴木氏。今回は、鈴木氏が切り開いてきた「自分の道」とその軌跡、理想を実現するために大切にしていることについてお話を伺った。

ものづくりの楽しさを感じ始めた大学時代

スピーゴラの靴づくりの様子

職人による靴づくりの様子

鈴木幸次氏は、兵庫県神戸市須磨区で生まれ育った。隣接する靴の町・長田地区で父親は靴のパタンナーとして活躍していたが、自身は小学校から高校まで野球に夢中の学校生活を送り、靴への興味は大してなかったと話す。

そんな彼が靴に興味を持つようになったのは、大学生になりファッションに興味を持ち始めてからだという。それでもまだ、靴づくりをしたいと思うまでには至っていなかったのだが、大学生の頃に始めたアルバイトがきっかけで、ものづくりに対する意識が徐々に変わり始めた。

飲食店やスキー場のロッジ、マネキン屋、焼却炉の製造など、たくさんのアルバイトをしました。焼却炉の製造では、埃まみれで灰を吸いながらも最前線で働く職人の姿や職人のすごさを垣間見ました。職人の中には趣味で陶芸をしている人がいたり。あの体験がきっかけで、ものづくりをおもしろいと思い始めたんです」

長田での靴づくりは分業制が多く、ものづくりといっても全体像が見えづらい。それが、アルバイトを通して初めてものづくりの全体像を目にしたことで、ものづくりそのものへの興味につながったのだ。しかし、ここでも靴職人になることは考えてもいなかった。

それが、1995年に阪神大震災が起きたことで変わる。長田地区は、壊滅的な被害を受けた。路頭に迷い、仕事を失いつつある人がいるなか、父親の仕事は取引数が減少してもまだまだ需要があった。

「当時は靴メーカーもパタンナーを雇用できる状況ではありませんでした。でも、靴づくりには型を作るパタンナーが必須。だから父のところに依頼がくる。あのような状況でもパタンナーという職業は、食べていけるんなんだなと思ったんです」

20歳を迎える前で経験した阪神大震災は、人生観そのものを変えたとも話す。その後、父親の勧めで靴工場で働きながら、同時に父親の下でパタンナーの勉強も始めた鈴木氏。このとき学んでいたのは、長田で主に作られているレディース靴だった。

パタンナーをしながら自分のブランドを作れたらと考えるようになっていた鈴木氏。一流のレディース靴のブランドの多くはイタリアに集中しており、古くからイタリアでレディース靴を学ぶのが一般的な流れだったことから修行のために旅立つことを決意。その一歩が人生を大きく変えた。

イタリア修行へ。人生を変える師と、手作り靴との衝撃の出会い

スピーゴラのビスポーク・シューズ

ビスポーク(フルハンドメイド)で作られた靴

パタンナーになるためにイタリアでの修行を決めた鈴木氏だったが、当初現地で働く予定になっていた工場が閉鎖。渡航前に計画が狂ってしまう。諦めきれなかった鈴木氏はひとまず現地のデザイン学校へ通うことにした。

だが、イタリアに渡ったばかりの頃は毎日が必死だったと鈴木氏は振り返る。

「この時点でイタリア語はまったく喋れない状態。『水』という簡単な単語の一つもわからない状況でしたね。生活するにも、イタリア語への知識がないから相手が話している内容もわからない。人生で、あんなに勉強したことがないというぐらい必死に学びました

今から約23年前の当時はまだ、イタリア国内で英語を話す人も少ない時代だった。便利なスマホ、翻訳機もない。学生のときはさほど勉強が好きではなかったという鈴木氏だったが、このとき必死になって学んだことはいい思い出だと笑う。

手探りの日々に疲れ果て、日本に帰りたくならなかったのだろうか?

「ここで何とかしなければという思いがありました。パタンナーとしてやっていけるようになるまでは、帰っても意味がないと。あの経験があったからこそ、自分の世界が広がったと思います」

スピーゴラのビスポーク・シューズ

制作途中のビスポーク・シューズ(フルハンドメイドの革靴)

そんな鈴木氏にある日、転機が訪れる。のちに師となるロベルト・ウゴリーニ氏との出会いだ。ロベルト・ウゴリーニ氏といえば、イタリアのオーダーメイド靴の職人として、靴マニアや靴職人の間では知らない人はいない人物である。

「靴を勉強している知人の誕生会があり、そこにロベルトが来た。長田は、靴づくりといっても工場で作る靴ばかり。一方のロベルトは、一から靴を手作りしている職人。手作りの靴ってどんなものなんだろう? って興味が湧きました。そこで、ロベルトに『工房へ行って見学してもいいか?』と聞いてみたんです」

ウゴリーニ氏の快諾を受けてすぐ工房に足を運んだ鈴木氏は、そこで生まれて初めてフルハンドメイドの靴に触れたのである。

「ロベルトが作っていたのはメンズの革靴。これがとても衝撃だった。当時のイタリアではデコラティブな靴が流行していたこともあり、手作りでこんなに芸術的な靴を作ることができるのかと驚きでした」

そこから、フルハンドメイドの靴づくりへの関心が高まっていった。ウゴリーニ氏の工房へ足繫く通いながら、パターンの学校にも通い始め、次第に自分の進みたい道が見えてきたという。

「気づけば始めていた」靴職人への第一歩

靴職人の鈴木氏

靴づくりをする鈴木幸次氏

「自分がやりたいのは、パターンよりもロベルトのような靴づくりだ! そう気づいたときには、靴づくりを自然と始めていましたね。それでもまだ、靴づくりを仕事にしようとまでは考えていませんでした。ただ、作るのがおもしろくてしかたがなかったんです」

靴職人への第一歩は、作り方を知ったから作ってみたい。作ったものを履いてみたいという好奇心から始まったものだった。もともとファッションに関心があった鈴木氏は、ファッションアイテムとしてのイタリア靴に関心を寄せるようになっていた。

もともとイタリアに渡ったのは、レディース靴を学ぶためだった。しかし、いつしかハンドメイドのメンズ靴へ興味は移っていった。

「生活は、休日も含めてすべてが靴中心。工房でも家でも靴づくりをして、休日になればロベルトに革屋に連れて行ってもらったり、自分でアンティーク市に足を運んで道具を探したり。観光地に行くこともせずに、四六時中、靴のことばかり考えていましたね。そこは今もさほど変わっていませんね

帰国。そして、オーダーメイド靴職人に

靴職人の鈴木氏

木型を見上げる鈴木幸次氏

ウゴリーニ氏の工房で靴づくりを学ぶうちに、日本へ帰ることを考えるようになった鈴木氏。きっかけになったのは、日本から注文に訪れていたバイヤーから聞いた「日本で高まるハンドメイド靴への需要」だった。

「工房でロベルトの仕事を手伝いながら、日本からの依頼を個人的に受けていたんです。それに応じているうちに、日本でクラシックブームが来ていることを肌で感じるようになりました。その頃は、日本でイタリア靴を手作りしている職人もいなくて。状況を見るためにも一度、帰国することにしたんです」

そうして、イタリアで3年間の修行を終えた鈴木氏。2001年に日本に戻ると、生まれ育った神戸市長田で自身のブランド「スピーゴラ」を立ち上げるとともにアトリエを構えた。スピーゴラとは、イタリア語で魚の「スズキ」を意味する。自身の名字とかけて、この言葉を選んだ。

就職を考えなかったのか? という問いに鈴木氏は、笑顔を見せて答えた。

「その頃の靴職人は、どこかで働くということができない職種。オーダーを受けて一から靴を作る職人自体、当時はどこにもいなかったんです。だから、自分でやるしかなかった

その一方で、靴の町ならではの厳しい視線にも晒された。

「工場では大量生産が可能ですが、手作りの靴は月に6足作ることができれば多いほう。そんな状態ですから、周りにいる靴工場の経営者などからはいろいろ言われるんですよ。『それで儲けるのは無理やろう』とか『そんなんで食ってはいかれへんやろう』って」

それでも靴づくりをやめなかったのは、金銭的な余裕を得たいからではなかった。

やってみたい、作りたい。それだけなんです。せっかく作れるんだから、作ったものを誰かに買ってもらえて、履いてもらいたい。まだ25歳と若かったですし、靴職人で食べていけなくなっても、まだ身の振りようはあるという楽観的な考えがどこかにあったんでしょう」

ものづくりの醍醐味は「試行錯誤で見つかるアイデア」

スピーゴラのアトリエ

アトリエで作業を続ける職人たち

自身のアトリエでひたすら靴を作り続けた鈴木氏。それでも、順風満帆ではなかったという。

「困ったことに、まず材料がないんです。日本に職人がいなかったのもあり、材料がそろわない。だから年に数回、イタリアへ材料を探しに行っています。技術面でカバーできるものはどうにかできても、素材系はどうしようもないです。今は、代理店があったりと便利になりましたけどね」

アトリエにこもって、寝る間を惜しんで靴づくりを続けた。アトリエに寝泊まりしていたことも少なくない。納期に追われる毎日をこなすので精一杯だった時期もある。それでも、靴づくりに夢中だった。それは、作るたびに新たな発見があったから。

「去年と同じものを作っても、作り方が変わるんですよ。とくに始めたばかりの頃は経験が浅いから、試行錯誤して作ることも多い。こうやって作ったら、もっといいものができるなとか。そういう発見があるからずっと楽しくて、ちっとも飽きないんですよね」

靴づくりを始めて18年。最近ではそんな発見も少ないというが、それでもふとしたときに浮かぶアイデアにいまでも心躍るという。

ほかの職人が悔しいと思うぐらいの靴職人でありたい

靴職人の鈴木氏

木型を見つめる鈴木幸次氏

現在、200人以上のリピーターを国内外に抱える鈴木氏。アトリエには顧客の木型がずらりと並ぶ。木型は顧客一人ひとりの足に合わせて作られた唯一無二のものだ。日本国内だけでなく、7年前から海外市場にも進出を続ける鈴木氏のアトリエには海外からのオーダーシートもある。

オーダーメイドの靴職人として第一線を走り続ける鈴木氏に今後の展望を尋ねた。

「自分のブランドをもっともっと有名にしていきたい。どんどん攻めていきたいですね。ほかの職人が僕の靴を見たときに『ああ! こんな手があったのか!』とか『こんなのを作りたい』と思ってもらえるような靴づくりをしていきたいと思っています」

そんな鈴木氏でさえも、常に戦略を考えながらアトリエ経営をしている。

「いま、日本でも靴職人になる人が増えていますが、ただ靴を作れるというだけでは正直、厳しい世界になりつつあります。だから、これからはどう戦っていくか、顧客の購買意識をどう刺激するかを考えていかなければならないでしょうね」

イタリアでの修行時代から現在まで、靴職人として活躍を続ける鈴木氏。そんな彼の工房では、今日も靴づくりの音が響く。

行動することで見つける「自分の道」

靴職人の鈴木氏

アトリエ2階の応接室にて

自身の「やりたい」と思う気持ちに素直に従ってきた鈴木氏に、やりたいことが見つからない若者へのメッセージをいただいた。

「『動く』ことですね。行動して、人と出会ったり、何かを発見したり。小さなことでもいいから、自分がワクワクするものに向かって動いていくことが、結果的に自分の道を見つけるきっかけになると思うんです」

それは、鈴木氏自身が当初レディース靴のパタンナーを目指すためイタリアに渡り、ロベルト氏と出会って、いまはメンズの靴職人をしている経験と一致する。

「こういうことをしている時間が楽しいとか、テンションが上がるとか。そういう気持ちを大事にしていけば、道は開けてきます。いまはネットで見たり聞いたりできるけど、それだけではなく実際に見に行ったり、触れてみたりしたほうがいいですね。

進む道を決めている人は、それはそれですごいこと。けれど、固執しすぎる必要もない。こっちのほうが良かったかもと思ったなら、そっちに行けばいい。動かないと何も変わらないから」

人生を変えていくには、自らの意思決定と同じくらい行動力が道を切り開くカギになる。自らも行動力で切り開いてきた鈴木氏だからこそ、その言葉には力が宿っている。

取材後記

今回、鈴木氏の話を伺い「行動」がいかに人生に転機をもたらすのかについて考えてみた。多くの自己啓発本では、行動することが大切とうたわれる。

行動せずに頭の中であれこれと考えあぐねても、動かなければ手にしたい未来に近づくことは難しい。そこには失敗や挫折があるかもしれない。しかし、行動するからこそ、新たな道を見つけることが可能になる。鈴木氏の話は、それを如実に体現しているものだと感じた。

鈴木幸次さんのご紹介

靴職人の鈴木氏

鈴木幸次/靴職人
1976年、兵庫県神戸市生まれ。レディースシューズのパタンナーである父親の下でパターンの勉強の後、イタリアのデザインスクールにてパターンを学ぶ。在学中、フィレンツェのメンズシューズをフルハンドメイドする靴職人ロベルト・ウゴリーニ氏に出会い、彼の工房にて約3年間師事を受ける。

2001年4月に帰国し、神戸市長田区に自身の工房「Antica Battega della Spigola」を開き、フルハンドメイドのオーダーシューズの展開を始める。

現在は、アメリカ・ニューヨークや香港、マニラなど世界7か国を股にかけて海外マーケットへも進出。いまなお、フルハンドメイドの靴職人として第一線で活躍し続けている。

この記事を書いたライター

浜田 みか

浜田 みか

1977年生まれ、大阪在住。好奇心の塊が服を着ているようなフリーライター。興味関心の幅が広く、探究心が強い。グルメや観光スポット取材のほか、起業・転職・副業など対応ジャンルは広め。ライターの傍ら、電子書籍専門の編集や自ら書籍執筆も手掛けている。趣味は、カメラ・映画・読書。一番好きな映画は「ネバーエンディングストーリー」。座右の銘は「ワクワクする方へ」。

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