Pages

Saturday, May 16, 2020

美濃和紙職人へ修業積む 山田さん、4月から見習いに - 中日新聞

2月の基礎スクールで自分ですいた紙を確かめる山田さん=美濃市蕨生の和紙の里わくわくファームで

写真

 美濃和紙をつくる職人の後継者不足が続く中、三月まで短大職員として働いていた山田祥大(しょうた)さん(28)が、職人歴七十五年の沢村正さん(90)=美濃市蕨生=の下で見習いとして学び始めた。「いつかは独立して本美濃紙がすける職人になりたい」と修業を続ける。

 山田さんは沢村さんの工房で午前九時〜午後五時、原料のコウゾのごみを取り除く「ちりとり」をしたり、紙干しをする際に使う板を運んだりして下働きに励む。「一年間は辛抱の時期」とアルバイトをしながら勉強に励む。

 沢村さんによると、一人前の職人として独立できるまでには四〜六年はかかる。沢村さんは「紙づくりの技術を覚えるだけでなく、それを体得しなければならない。さらに、自分の紙を売るための営業力も必要」と厳しさを語る。

 山田さんは富山市出身。製造業で働く父の影響で「仕事といえばものづくり」という環境で育った。跡継ぎ不足に悩む蛭谷(びるだん)和紙(富山県)の新聞記事を読み、「自分も和紙をすく職人になりたい」と考えるようになった。

 奈良県内の短大で学び、卒業後は同県吉野町の中学校で美術講師として働いた。ある休日に、地元の吉野和紙のワークショップに参加し、はがき大の紙をすいた。ぶらっと参加しただけだったが「和紙職人になりたい」という気持ちを思い出した。

 その後、動画投稿サイト「ユーチューブ」で本美濃紙をすく職人の動画を繰り返し見た。「簀桁(すけた)の動かし方が美しかった」と動きに引き込まれ、職人へのあこがれを強くした。

 二〇一七年には講師を辞めて短大職員として働いていたが、休日には和紙への理解を深めるため、美濃和紙の里会館(美濃市蕨生)に何度も足を運んだ。今年二月には和紙の里わくわくファーム(同)で開かれていた「美濃・手すき和紙基礎スクール」にも参加し、奈良と岐阜を往復する日々を続けた。

 晴れて二月下旬、沢村さんの下で学ぶことが決まり、四月六日から職人を目指す修業の日々を始めた。見習い先を紹介した同会館の清山健館長は「若い世代なので、よく勉強して本美濃紙を背負う人間になってほしい」と期待する。

 沢村さんも「とてもまじめで素直」と山田さんを評価。「自分の体力も徐々に衰え、山田さんに何年間教えられるか分からない。実践的に教えるので少しでも早く巣立ってほしい」と激励する。

 山田さんは「一カ月以上たって少しずつ勝手がわかってきた。美濃和紙に関わる方々が温かく迎えてくれて、本当に良い場所に来た」と感激し、修業にも力が入る。

 (森健人)

この記事を印刷する

Let's block ads! (Why?)



"職人" - Google ニュース
May 17, 2020 at 03:06AM
https://ift.tt/2T9SJ2U

美濃和紙職人へ修業積む 山田さん、4月から見習いに - 中日新聞
"職人" - Google ニュース
https://ift.tt/2uvI8WA
Shoes Man Tutorial
Pos News Update
Meme Update
Korean Entertainment News
Japan News Update

No comments:

Post a Comment