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Saturday, June 12, 2021

極上の昆布 職人技磨く - 読売新聞

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 かすかに潮と酢の香りが漂う作業場で、職人が丹念に北海道産の昆布を削り上げていく。包丁が動くたびに、おぼろ昆布がふわりと舞い落ちる。

 「腕のいい職人は、向こうが透けて見えるくらい極限まで削ります。薄い手すき昆布ほど、舌触りは極上です」。3代目社長の郷田光伸さん(50)は1枚を手にすくうと、そう話した。

 堺市堺区の中心市街地にある「郷田商店」。堺昆布加工業協同組合によると、戦前、このかいわいで手加工を中心に150軒以上の業者が軒を連ねた。現在は6軒あるが、手すきを続けるのは3軒しかない。郷田さんは「大阪伝統の食文化を守る。そんな気持ちで続けている」と力を込める。

和食だしの基礎

 江戸時代中期、北海道の昆布は、日本海経由の北前船で「天下の台所」の大坂まで運ばれた。大坂の廻船かいせん問屋が、河内木綿などの特産品を送り出し、帰りの船に昆布を積んで財をなしたとされる。鉄砲鍛冶をルーツに刃物製造が発展した堺で荷揚げされ、おぼろ昆布やとろろ昆布に加工された。

 かつては朝廷に献上されるほど高級品だった昆布は、こうして庶民の食卓に普及し、関西の和食だしの基本となっていった。司馬遼太郎は歴史小説「菜の花の沖」に、「昆布以前と昆布以後とでは、味覚の歴史は大いにかわった」と書いた。

深刻な後継者不足

 郷田商店の昆布は、昆布うどんのほか、キタやミナミの高級寿司すし店でバッテラ寿司に使われている。今も昔も変わらぬ老舗の逸品にファンは根強くいるが、業界の課題は職人不足だ。

 郷田さんは2015年から2年間、店近くに場所を借り「手すき昆布職人養成所」を設立したことがあった。勉強に専念してもらおうと、奨学金も出して加工を学んでもらい、20~40歳代の元会社員や主婦ら6人が学んだ。

 おぼろ昆布は包丁で表面を帯状に削り、とろろ昆布はギザギザの刃で糸状に削り取る。20分も続ければ切れ味が鈍るため、何本もの包丁が必要だ。その研ぎの技術から昆布加工まで、半年から1年をかけて伝えた。

 卒業生の一人で、同市東区の山口祐樹さん(34)は養成所で初めておぼろ昆布に触れ、いまや会社の主戦力になった。「昆布の硬さなど状態は様々で、一枚も同じものがない。包丁の鋭さや力加減を変えながら、削るようになった」と奥の深さを語る。

 原料の真昆布はここ10年で6割以上も高騰したため、練習に大量の材料が必要な養成所は現在休止を余儀なくされている。しかし、郷田さんは言う。「自分の店のことだけでなく、手すき加工の業界全体の問題として、後継者を育成していかなければ。それが、大阪に欠かせない郷土の味を守ることにつながる」。技術を引き継いでいくための模索は続く。

(上田貴夫)

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