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Sunday, December 26, 2021

ヤクルトもオリックスも黄金期は「職人の集まり」 両軍を知る大砲が感じた強さの秘密 - Full-Count

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イチローさんがいた当時のオリは「多くを語らずにお互いを認め合う職人の集まり」

 今年の日本シリーズは1995年以来、26年ぶりにヤクルトとオリックスが対戦した。当時はヤクルトもオリックスも優勝争いの常連。その頃の両チームを知る選手の一人が「デカ」の愛称で親しまれた高橋智さん。どちらも「職人気質の選手が多かった」と振り返る。

 オリックスとの頂上決戦を4勝2敗で制し、20年ぶりに6度目の日本一に輝いたヤクルト。両チームが日本シリーズで前回対戦した1995年当時は、どちらも「黄金期」と言われるほど毎年のように優勝争いをしていた。身長194センチ、体重100キロの大きな体を生かした打撃で存在感を示した高橋さんは1984年に阪急からドラフト4位で指名され、1998年までオリックスに所属した。当時をこう振り返る。

「主力は黙々と仕事をこなすタイプばかりでした。普段はあまり周りを気に掛けませんが、試合の時は団結する。多くを語らずにお互いを認め合う職人の集まりでした。誰かがチームをまとめるために声を出すというのもなかったですね」

 高橋さんと同じ外野手には、イチローさんや田口壮さんがいた。内野手には藤井康雄さん、大島公一さん、福良淳一さん、馬場敏史さん、勝呂壽統さん。本西厚博さんは内外野守れるユーティリティだった。「イチローと田口は仲が良いと言われていましたが、プライベートでベッタリしていたわけではないです。仲良くなりすぎると、なあなあになると分かっていたんだと思います」。勝っても負けてもチームの雰囲気は変わらなかったという。試合が終われば、選手たちの意識は次の試合に勝つことに向いていた。

 高橋さんは1999年からヤクルトでプレーした。当時は古田敦也さんや宮本慎也さんらが野手の中心。「シーズン開幕前はパーティーみたいな集まりが何度もありましたが、試合中のベンチの雰囲気はオリックスと似ていました」と語る。投手陣は石井一久さんや高津臣吾さんら陽気なイメージの選手が多かったが「マスコミ向けに騒いでいる印象でした。実は、おとなしいタイプの選手が大半でしたね」と明かした。

 ヤクルトの選手は1990年から98年まで指揮を執った野村克也さんの影響もあって、考える習慣を身に付けていたという。野球は団体スポーツだが、個々が力を伸ばすことでチーム力が上がる。高橋さんは「主力は職人気質の選手が多かったです。自分がプレーしていた頃のオリックスとヤクルトは似ていました」と回想した。

〇高橋智(たかはし・さとし) 1967(昭和42)年1月26日、横浜市生まれ。54歳。向上高から1984年ドラフト4位で阪急に投手として入団。野手に専念した1987年に1軍デビューし、91年に23本塁打。92年には自己最多の29本塁打を放ってベストナインを受賞した。99年にヤクルトへ移籍、同年に16本塁打を記録した。2001年オフに戦力外通告を受け、翌02年に台湾プロ野球に挑戦し、シーズン途中で退団、現役引退した。NPB通算945試合出場、打率.265、737安打、124本塁打、408打点。

(間淳 / Jun Aida)

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