東京オリンピックの聖火リレーが1日、千葉県内で始まった。山武市の蓮沼海浜公園を会場に点火セレモニーが開かれ、ステージ上でトーチを近づけて火を移す「トーチキス」が行われた。新型コロナウイルス感染拡大防止のため、21市町で行われる予定だった走行は見送られたが、この日、参加した70人のランナーはそれぞれの思いを胸に聖火をつないだ。
「五輪に出場する選手の力になれればと思っていたので、聖火をつなげてよかった」。いすみ市の阿出川(あでがわ)輝雄さん(78)は、セレモニー後、安堵(あんど)した様子で話した。
サーフボード作りや世界大会の開催に尽力した日本サーフィン界のパイオニア。東京五輪で初めて行われるサーフィンは自宅近くの一宮町の釣ヶ崎海岸が会場で、思いはひとしおだった。
サーフィンとの出会いは、前回の東京五輪が行われた1964年、留学のため米国・ロサンゼルスに渡った時だ。「テッド」の愛称で現地に溶けこみ、サーフィンの魅力にとりつかれた。
サーフボードの作り方を覚え、帰国後に東京・神田に工場を構えた。日本では当時、サーフィンが新しい文化だった。サーフボードを買えるといううわさを聞きつけたサーファーが訪れ、売り上げは順調に伸びた。「東京五輪のおかげなのか、新しいことをやってみたいという若者が増えていた」と振り返る。
70年にいすみ市に拠点を置いた。79年に同市で開催した世界大会には、「どうやって集まったかわからない」ほど、世界各地からの参加があった。
だが、60歳の時に脳内出血で倒れ、右半身が不自由に。医師から「もう歩けない」と言われたが、歩く練習を続け、補助なしでも歩けるまで回復した。ハワイで感銘を受けた障害者サーフィンを広めようと、「日本障害者サーフィン協会」の設立に携わるなど、サーフィンへの情熱は衰えていない。
地元の海岸線を走ることを思い描いて、大会延期後も走る練習を積んでいた。今回の経験を生かし、「今後も競技を広めていきたい」と力を込めた。
からの記事と詳細 ( 脳内出血で倒れたサーフボード職人、それでも「競技広めたい」(読売新聞オンライン) - Yahoo!ニュース - スポーツナビ )
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