つま先に穴が開き、かかとにベルトのない「つっかけサンダル」。「ヘップサンダル」とも呼ばれる。昭和の頃まで奈良県はサンダルの一大製造地だったが、現在は最盛期に比べて工場の数は大幅に減った。2020年、川東履物商店の4代目川東宗時さん(32)は、昔ながらのイメージを払拭(ふっしょく)した新しいサンダルのブランド「HEP」をスタートさせた。【東山潤子】
県内では江戸時代に農家の副業として、わら草履を作り始めたことから履物産業が盛んになったとされる。サンダルは、オードリー・ヘプバーンが映画で履いていたことから、足先につっかけてすぐ出かけられて便利と、全国的に大流行した。
川東履物商店は1952年に創業以来、ヘップサンダルを作り続けてきた。川東さん自身は家業を継ぐことは考えずに大学卒業後、アパレル商社に就職して営業職として国内のあちこちの拠点を回った。その後転職してマレーシアで1年ほど仕事をし、2017年に奈良に戻った。
ヘップサンダルの生産は海外に移り、県内の工場は減っていた。家業も縮小傾向にあり、長年仕事をしてきた職人たちもすっかり年を取っていた。「背中を丸めてうつむいている様子を見ていたら、彼らが孫に自慢できる仕事をしてほしいと思ったのです」
思いついたのが、自分も履きたくなるようなヘップサンダルづくりだった。国内を転々とし、その後マレーシアにも行ったが、近所に飲みに出かけたり、コンビニに行く時に履いていけるサンダルがどこにもないと感じていた。生活雑貨やインテリアにこだわりを持つ若い人が、ふらりと出かける時に履ける実用的で機能的なデザイン。川東さんはデザイナーと何度も打ち合わせをして、新しいサンダルづくりを始めた。
デザインが完成し、サンプルづくりに入ったが、思わぬ苦労が待ち受けていた。サンダルの製造は4~5工程あり、どこの工場も工程ごとに分業で製造している。川東さんの実家の工場でも、すべての工程をまかなうことはできなかった。
県内の工場に片っ端から電話したものの、断られてばかりだった。高齢化や人手不足のため、仕事を受ける余裕がないというのが主な理由だった。サンプル製作を引き受けてくれる工場が見つかったが、出来上がりは思い描いていたものとは違っていた。作り直してほしいと頼んでも、デザイン通りに作るには、ここの工場の機械では無理だ、と言われた。工場がなくなると、その工程を担う機械がなくなるだけでなく、機械を扱える職人もいなくなるため、作れなくなるのだ。
川東さんが困っていると、声をかけてくれる人が現れた。
「君のおじいちゃんとはよく一緒に仕事をしたよ、と懐かしがってくれたのです。その人に相談すると、それならあの職人さんに連絡を取ってあげよう、と引退した職人さんに話をつないでくれました」。職人に会いに行き、話をすることで機械を譲ってもらった。さらに、何人もの古い職人につながり、連絡を取ることができた。
職人から昔の技術を学び、ようやく理想のサンダルが完成した。ブランド名は「HEP」。20年2月に展示会に初出展することになった。しかし、そのタイミングで新型コロナウイルスが襲った。展示会やイベントなどは軒並みキャンセルとなり、展示会で受注生産する予定が狂った。
急ぎオンラインショップを始めたところ、販売は好評で予想以上の売り上げとなった。男性が買い求めやすいようユニセックスなデザインにしているが、女性が7割を占める。その後、セレクトショップなどでの卸売販売、温泉旅館などの施設で従業員用に販売を開始。売り上げはこの1年で順調に伸びている。
サンダルのブランド化に成功したのは、4代続いた家業のおかげだと語る。「川東の名を出すと、何人もの人がすぐにわかってくれました。サンダルづくりにも繊細な職人の技があります。それを引き継ぎながら、新しいものを作り、HEPはサンダル界の一番星であり続けたい」
川東履物商店
ブランド「HEP」を掲げ、川東宗時さんが個人事業主として地元工場への資材卸やヘップサンダルを中心とした履物の製造・販売を手がけている。創業時からの川東履物商店は現在、川東商店と名称変更している。奈良県大和高田市曙町15の33。ウェブサイト(https://www.hep-sandal.jp/)で購入できる。問い合わせはメール(info@hep-sandal.jp)で。
からの記事と詳細 ( 昔ながらの「つっかけサンダル」一新 繊細な職人の技学びブランド化 - 毎日新聞 - 毎日新聞 )
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