若さゆえの衝動以外のなにものでもありませんでした
(フォスター&サンの)見習い時代は靴修理のアルバイトで生計を立てました。3年くらいでしょうか。有機溶剤が充満する狭苦しい部屋で日がな一日。最近、物忘れが多くなったのはきっとそのせいです(笑)。 そんなわけでお話しする内容には不確かなところがあるかも知れませんが、ご容赦ください。 学校を出たわたしは虎屋に就職します。和菓子が好きだったんです。日本を代表する和菓子の老舗ですからね。社員教育も厳しくてたいへん勉強になりました。 社会に出る一歩目としては申し分のない環境でしたが、いっぽうでこのまま和菓子を売り続ける未来は ちょっと想像のしにくいものでした。 3年勤めたわたしは1997年、21歳の年に渡英します。靴の学校のコードウェイナーズ・カレッジに入学するためです。 コードウェイナーズの存在を知ったわたしは靴をつくってみたいって思ったんです。 わたしは足が大きくて、足長はだいたい 25~25.5㎝を行ったり来たりしています。横幅もあります。履きたい靴が履けない、というストレスをずっと抱えていました。 そのころのわたしはビームスに置いてあった(ジョージ)クレバリーのパンフを持ち帰ったりしていますから靴づくりに興味があったのは間違いがありません。ただ、おっしゃるように二十歳そこそこの女の子がひとり渡英する動機としては弱い。若さゆえとしかいいようがありませんね。 若さゆえ、を証明する事実ならいくらでもあります。 そもそもわたしは旅行でさえ海外に行ったことがなかった。それでいきなりイギリスで一人暮らしを始めようとしていたんだから無鉄砲にもほどがあります(笑)。 ネットがいまほど便利ではなかった時代とはいえ、調べようと思えば日本にも靴の学校があることがわかったはずです。わたしは渡英するためにお金を貯め始めるんですが、短くないこの期間、当時のわたしは それさえしていない。 そんなんだから、のちの師匠となるテリー・ムーアのこともちっとも知りませんでした。
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