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Sunday, December 26, 2021

金物職人が愛した一杯 三条カレーラーメン - 朝日新聞デジタル

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 「長岡生姜醬油(しょうがじょうゆ)」「燕背脂」などと並び、新潟5大ラーメンの一つとされるのが「三条カレーラーメン」だ。80年以上の歴史があり、金物産業の街で職人に愛されてきた。カレーとラーメンを組み合わせたご当地グルメは、今や市内外からファンを呼び込んでいる。

 休日の昼時にはすぐに座れないことも少なくない人気店の「大衆食堂 正広」。カレーラーメンにライス、福神漬けがつくセットは特に注文が多いという。食べ始めは辛さを感じないが、じわじわ辛さが伝わってくる。麺を食べてから残ったスープをライスにかけて「カレーライス」風にすれば二度楽しめる。

 店主の阿部圭作さん(54)は「ファミリーの客が多く、子どもでも食べられるように辛さを控えめにしている」と説明する。先代から引き継いだ昭和の味を守りつつ、スパイスを工夫して現代風にアレンジしている。

 1967年ごろに市内の繁華街「本寺小路」で開業し、酒を飲んだ後のカレーラーメンが受け入れられた。しかしバブルが崩壊し街には人の流れが減った。思い切って現在のロードサイドに移転。テーブルを増やし広々とした店内には狙い通り家族ずれの客が訪れた。

 16店でつくる「三条カレーラーメン部会」の会長でもある阿部さんによると、市内の発祥の店はよくわかっていないというが、「大黒亭」やすでに廃業した「東京亭」が戦前から提供していたとされる。

 市民に広がったのは高度経済成長期。金属加工の工場が忙しく、家族経営の事業者は夕食をつくる時間も惜しかった。熱々で腹がふくれるカレーラーメンの出前が一気に増えたという。隣の燕市の背脂ラーメンも同時期に洋食器の工場からの出前で広まった。冷めないように油でふたをしたとされ、普及した経緯に共通点があった。

 1933年創業の大黒亭は市内に3店舗あり、いずれも創業者の弟や息子がシンプルな味わいを引き継いだ。創業した八木丸一さんは東京・銀座の洋食店でカレールーの製法を習得。創業時のメニューにも、中華そばや焼きそばとともに名を連ねていた。

 戦前は食材が手に入らず具はタマネギとチャーシューだけ。トッピングは今も変えておらず、カレールーや麺は自家製だ。松屋小路店の八木硬介さん(63)は「変わらない味を食べてほしい」と話す。一番人気はカレーそばだが、とんかつやチャーシューが丼いっぱいにのった「肉三昧(ざんまい)カレーそば」(税込み1250円)などのメニューも展開している。

 カレーラーメン部会によると、カレーラーメンの定義は唯一、「カレー味のラーメン」のみ。竹炭を入れた真っ黒いスープや、地元の野菜と肉がたくさんのったタイプまで幅広い。部会と三条観光協会が来年2月末まで共催するスタンプラリー期間中は、対象15店のラーメンが餅入りに。全店のスタンプを集めると、計1万5千円分の食事券が贈られる。担当者は「最近、カレーラーメンに光が当たらない。もう一度アクセルを踏みたい」と話す。(長橋亮文)

     ◇

 三条カレーラーメン 三条市内の約70店で提供される。「大衆食堂 正広」は三条燕インターチェンジ(IC)から車で5分。カレーラーメンは税込み900円。「大黒亭 松屋小路店」は三条燕ICから車で10分。カレーそばは同690円。

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